PHTS 代表 のコラムです。
10 粉体工学とともに
(京都大学工学広報 2024)
令和6年3月に京都大学大学院工学研究科化学工学専攻を定年退職した。この機会に,過去を振り返りながら現在の思いを記してみたい。
原 点
昭和33年に広島で生まれ,基町で育った。この場所は,広島城,県庁,図書館,美術館,体育館などが建ち並ぶ市内の中心地である。戦前には軍の施設があり,広島県産業奨励館(いわゆる原爆ドーム)にもほど近い。しかし,振り返ってみると戦後10年以上経過したときでさえ,近所に焼け焦げた塀は残っていたし,川沿いには無秩序に建てられた小さな家がたくさんあった。昭和40年代は,復興に向けて公営アパートの建築が急速に進められた時期であり,木造の住居は撤去され,雑草が茂る空き地は子供たちの格好の遊び場になっていた。河川敷が整備されて市民の憩いの緑地になったのは,ずっと後のことである。当時は,自ら考えて行動しなければ何も生まれなかった。近隣の町との格差は明らかであったが,そこには時間的にも空間的にも多くの自由があった。
子供の頃に経験した図画工作の時間は楽しかった。学年が進んで美術と呼ぶようになっても創作の楽しみは続いた。抽象的であろうが前衛的であろうが様式には関係ない。色彩,濃淡,形状,サイズなどの組み合わせと配列によって何らかの妙があればそれでよかった。理科の授業も楽しかった。受けた授業が特殊だったのかもしれないが,考える時間が十分に与えられていた。それは,実験の観察結果について仮説と考察を繰り返しながら正解に近づけていく方式だった。重要なのは発想力であり,論理的思考も少なからず要求されたと思う。芸術と科学は,一見すると大きく違うように見えるが,共通するところもある。芸術家は作品を仕上げる過程で無意識に論理的に考えているし,科学者は仮説を立てるときに直感を大事にしている。
学年が上がると,文系と理系の選択を迫られる。芸術が文系というのは安易な考え方かもしれないが,最終的には理系を選んだ。物理も化学も楽しかった。強いて言えば視覚的変化が大きい化学に惹かれて地元の大学に進学した。既に漠然とした将来像として,プラントエンジニアを思い描いていた。岩国・大竹に石油コンビナートがあり,その夜景を何度も目にしていたからかもしれない。巨大な装置を結ぶパイプラインの幾何学的な美しさとフレアスタックに異次元の魅力を感じていた。
粉体工学との接点
物質の三態は,言うまでもなく気体,液体,固体である。化学工業で固体と言えば,比表面積の大きさを利点とする粉体である。気体や液体が連続系であるのに対して粉体は離散系であり,個々の粒子の不均一性から生じる特性に面白みを感じていた。粉体を原料とするファインセラミックスや機能性製剤がニュースで取り上げられるようになったのもこの頃である。
大学の卒業研究は,液相流動層の動的挙動に関するものであり,粒子には関係していたが,粉体工学ではなかった。修士課程に進学するときには,粉体をより真剣に考えるようになり,理論解析で著名な増田弘昭先生に傾倒して研究室に入った。最初の面談で,エアロゾル粒子の分級に関する数値シミュレーションのテーマを提案された。その数日後には微粉体の再飛散現象の解明に変更する方がよいと言われた。分級は先行研究で理論がある程度まで確立していたが,微粉体の再飛散は粉体ハンドリングにおいて粒子沈着後の重要な現象であるにもかかわらず,多くの要因が複雑に絡み合っていたため基礎研究が遅れており,先駆的研究を行うことに意味があるとのことだった。また,沈着は粒子の動的挙動に支配されるのでエアロゾル工学の領域に入るが,再飛散は粒子の表面特性および粒子間相互作用力の影響を強く受けるので粉体工学の領域であり,博士課程の研究としても継続できるということだった。
実験装置は自作が当たり前の時代であり,設計,資材の調達,加工,組み立ての一切を任された。設計では,データ取得時の操作性を重視する必要があり,発想力を活かせるところに面白みを感じた。製作した実験装置の一つはマイクロスケールの物理現象を観察するためのものであり,もう一つは現象を定量評価するために静電気を利用するものだった。学生の私には,現象の観察は定量評価に比べて学問的に下位に感じられたが,支配因子を抽出して機構を解明していくには,詳細な観察が何よりも大切であることを教えられた。気相乱流下で粒子の再飛散現象を録画しては,スロー再生を繰り返して再飛散フラックスの経時変化を求める作業は地味であったが,研究を進める上で本質的な考え方が身に付いたと思う。今の時代なら,市販の動画解析ソフトを使って容易にデータを取得できたかもしれない。しかし,それでは大事なものが見えなかっただろう。
企業に就職
修士課程を修了し,以前から考えていたエンジニアを希望して企業に就職した。配属先は原子力関連を扱うエネルギー事業本部であった。この種の知識を持ち合わせていなかったが,大いに興味をそそられた。所属部内では,原子力発電所から発生する低レベル廃棄物の固化処理施設の設計,製作,試運転に携わる人が多かった。一方,私は使用済み核燃料の再処理関連であり,流体系分離操作を主とする化学工学の領域の研究開発であった。企業に在籍した6年間のうち,最後の2年間は東海村の動力炉・核燃料開発事業団に場所を移すことになった。使用済み核燃料の溶解槽のメンテナンスエリアにも入り,多くの会社の人と協力して,将来行わなければならない解体・撤去のための技術開発やホット試験の準備を行った。エンジニアを目指して就職したが,研究開発に特化した仕事が多かったため,職種の選択に迷うことになった。
化学工学教室に着任
平成元年に恩師の増田弘昭先生が京都大学に配置換えが決まったとき,助手として採用される機会に恵まれ,大学での研究に専念することになった。企業で得た経験は貴重だが,各種装置の設計では非常に苦労したことを覚えている。専門書や論文に記載されている内容では,設計に必要な情報として不十分であり,大学の基礎研究の成果と実務の設計との間の溝を埋めていく必要性を強く感じた。分野によって程度の差はあるが,工学系に属する限り,シーズを提供する大学であっても,産業を視野に入れて研究を進める必要がある。大学の研究室の成果が学術誌に掲載されて他の論文に引用されれば,学術として意味はあるが,適切な時期に社会への還元に至ることが,工学の本来の貢献と考える。大学における研究の方向性および課題の決定に対する責任は重い。化学工学は,化学系の中でも産業と密接に関係するので,この点を重視すべきだ。
研究の視点
粉体を原材料として扱う場合,粒子径,粒子形状,粒子密度,表面性状などの物性を整えることは大事だ。しかし,これらの要求に対して完全に応えようとすると極めて高価なものになり,工業製品としては成立しなくなる。すなわち,粒子の物性には一定の分布があり,粒子の集合体である粉体の仕様には,統計的概念を持たせて評価することが重要だ。
粉体関連企業にとっては,非現実的な理想条件で得られた情報を示されても実用化への道は見えてこない。粒子の物性に分布が存在することを前提として対応できる技術を示す方が役に立つ。また,粒子径,粒子形状をはじめとする多くの物性は複雑に粉体ハンドリングに影響するので,各物性の情報を収集するだけでは操作条件を適切に決められないことも理解しておく必要がある。付着性,流動性,帯電性など,現象を数値化した特性に対して,平均値ではなく分布を評価する技術が望まれる。粉体に関わる製品の高機能化のために,一般論として粒子径をナノレベルまで小さくする要求は強いが,粉体の特性評価とハンドリングは極端に難しくなる。
粉体に関する研究で大事なことは,人の目線ではなく粒子の目線で現象を捉えて,特性評価と単位操作の両面から解決策を探ることだ。これまでに,ナノ粒子,繊維状粒子などの難流動性粉体の特性評価法,精密定量供給に適用できる振動せん断流動法,振動誘発型吸気による気泡流動層などを開発してきた。また,接触帯電、誘導帯電、低温プラズマおよび光電効果による粒子の帯電制御と外部電場を用いた帯電粒子の浮揚・気中分散,瞬時混合などの遠隔操作法を開発してきた。次世代の粉体操作として,温度,圧力,光,電場,磁場などの外場を巧みに利用する技術を確立すれば,既存の産業だけではなく宇宙開発などの近未来型産業にも活かせる。
展 望
機能性粒子を創製するために行われる基礎研究は重要だが,産業として成立させるためには,粉体の特性評価と単位操作の開発が要になる。化学あるいは理学として行う研究と化学工学として行う研究の違いを踏まえて,学術と社会に役立つ研究が発展的に進むことを期待する。
9 粉体工学会への期待
(粉体工学会誌 巻頭言 2024)
学会の役割とは何だろう。何に重きを置くかは人それぞれだ。視野を広げて見渡すことは大切だが,世の中は多方面に拡散し続けるばかりであり,今一度,基本的なことを考えてみたい。
いつの時代にも新たな研究領域は開拓されるものであり,そうでなければ社会や産業は進展しない。真理の探究や実用性を探るために論理的に考えて,適切な方法で結論を導き出す過程は科学的であり,新規性のある成果が得られれば公開していくのが正しい。それによって研究が体系的に進むと学術として社会に認められる。
効率的に学術を進展させるには,情報の発信と伝達の促進は必須である。公開された成果を利用して研究を行うと無駄な時間を費やすことはない。公開に至るまでの審査において,結論を導き出すための論理の妥当性は見極められる。こういうことを真剣に考える人が集まれば,それを適切に遂行できる機関を必要とする。それが学会,すなわち学術研究団体である。
日本学術会議が認める学術研究団体の要件は次のとおりである。①学術研究の向上発達を主たる目的として,その達成のための学術研究活動を行っていること。②活動が研究者自身の運営により行われていること。③個人会員の数が一定以上であり,かつ研究者の割合が半数以上であること。④学術研究(論文等)を掲載する機関誌を継続して発行していることである。
学会の役割として,研究発表会の開催,論文誌の発行,人材育成,産学連携,学際連携,国際化の推進など多岐にわたるが,研究者による学術の進展が根幹をなしていることに変わりはない。それを推し進めるために,研究成果を公開していかなければならないが,国内で発表するのと海外で発表するのは,場所が違うということだけではない。論文を日本語で記すのと英語で記すのは,言語が違うということだけではない。それぞれの目的に応じて,公開する方法を適切に選ぶのが正しい。会場の聴講者あるいは投稿する学術誌の読者を意識するなら,表現方法を適切に選択していく必要がある。
投稿に関してもう少し詳しく見てみると,論文と解説では,それを利用する人が異なる。邦文と英文では伝わる範囲が異なる。伝えるべき成果は同じであったとしても,その波及効果は違う。
さて,昨今の急速な情報化の進展は,研究者や学会に何をもたらしたのだろう。情報の入手と成果の伝達に要する時間は大幅に短縮されたが,新たに行うべきことが増えたのも事実である。情報の伝達速度の増加に応じて社会の動きも速くなるので,決められた時間に行うべき量は増えるし,所在にかかわらずインターネットを介して遂行しなければならない。このようにして時間を奪われていくと,研究に集中したり,得られた成果を発信したりする時間が増えていないことに気付く。これまで以上に優先度を見直すべきだ。
研究成果は発信しなければ伝わらない。特定の人に伝えるだけなら,そのための方法はあるが,できるだけ多くの人々に場所と時間を限定することなく,情報を伝えることが重要と考えるなら,インターネット上で閲覧できる学術誌に論文を残していく以外に方法はない。
学会は組織である以上,会員増強,各種行事,他の機関との連携など,多くのことに取り組まなければならないが,学術の進展に重きを置くなら,上で述べた学会の基本的な要件を大事にすべきだ。
粉体工学会は,和文誌と英文誌を発行している。これらの機能を十分に発揮させることは特に重要だ。過去2年間の英文誌のインパクトファクターには目を見張るものがある。多くの人々が注目する学術誌で情報を発信することの意味を大事にするなら,学術誌の知名度と質の高さは常に考えておかなければならない。
海外に目を向けると,比較的上位に位置していた国際誌がこの数年で順位を下げている。その一方で,世界トップ10%の国際誌はさらに評価を上げている。学会や出版社の考え方が問われているのだ。加えて,研究者の論文の投稿に対する考え方も問われているのだろう。
情報化が進む今の時代,組織の評価も研究者の評価も,その統計データを世界中で即時に閲覧できる。そのデータが明日の動向を左右する。5~10年先を見据えた方針とそれに向けた基盤づくりが何よりも優先されるべきだ。
8 恩師 増田弘昭先生を偲んで
(化学工学教室・洛窓会の動き 2022年度)
京都大学名誉教授 増田弘昭先生が 2022年11月10日,ご病気で逝去されました。9月には粉体技術者養成講座の講義をされ,その後も企業からの技術相談を受けるなど,お元気なご様子でしたので,突然の訃報に接し,残念でなりません。増田先生を偲び,いくつかの思い出を記させていただきます。
先生は,広島県竹原市出身で,1966年に広島大学工学部化学工学科を卒業され,同大学大学院を修了後,京都大学大学院工学研究科化学工学専攻で工学博士を取得されました。1973年に京都大学工学部助手に採用され,ドイツ留学後,1979年に広島大学工学部助教授として赴任されました。同大学で教授に昇任後,1989年,45歳のとき京都大学工学部教授に配置換えとなり,2007年3月に定年を迎えて,名誉教授の称号を受けられました。
増田先生の博士論文は“On the Control Elements of a Particulate Process”であり,粉体プロセスの解析に必要な粒子径の数学的取り扱いと粉体供給装置の動特性の2部で構成されており,先生の研究の原点がよく分かります。その後,固気二相流を対象として,粒子サンプリング,粒子濃度測定へと研究の領域を広げるとともに,分散,分級などの単位操作の研究にも力を注がれました。粒子の接触帯電にも興味を持たれ,静電気に関する研究も開始されました。先生は,粉体理論の第一人者として有名ですが,実験も大事にされました。
増田先生が助教授のとき,私は学部生であり,学内で見かける姿は,細身のジャケットにスラックスで,ドイツ製のメガネをかけて颯爽としておられました。先生の下で勉強したいと強く思い,研究室の修士課程1期生となりました。当時,バーチャルインパクターによる分級と静電拡散現象の研究が進行中であり,新たなテーマとして,微粉体の再飛散現象の研究を与えていただきました。気中分散粒子の取り扱いは,エアロゾル科学の領域であり,均質な系を対象とするので,どちらかと言えば,理論を展開しやすい状況ですが,粒子が沈着して形成された粉体層から凝集粒子が再飛散する現象は,粉体工学の領域であり,多くの因子が複雑に影響するため,理論は構築されておらず,研究の報告例も殆どなかったので,実験装置のイメージを描いて,自ら制作していかなければならない状況でした。
先生の研究スタイルは,未解明の複雑な現象や一連のシステムを実験で再現し,支配因子を抽出して,物理モデルを構築していくものであり,数学を駆使して定式化することを大事にされていました。
教育面では,「ヒントは出すが,答えは言わない」という方針であり,考え尽くしたのちに行動させておられました。昼休みになると,学生の居室に足を運ばれ,ニコニコしながら,分野を限定しないで雑談し,学生に問いかけることを日課とされていました。すべての論文が紙媒体という時代であり,文献検索も容易ではなかったので,各学生が読むべき文献を入手すると,昼休みにコピーを手渡しておられました。
研究室の年中行事は,夏休みに学生が企画する2泊3日の旅行であり,全員がテントに泊まり,昼は海水浴,夜は花火ですが,翌日の朝食後はゼミでした。研究室の学生は,多くの論文を日々手渡されていたので,その内容をまとめて発表するのです。青空の下,木漏れ日の中でゼミを行うところに増田先生らしさがあります。通常,ゼミは週1回,洋書を順に訳す輪講形式ですが,この時代,何をしても,どこか時間的なゆとりと遊び心があったように思います。
ときに,学生は研究の相談のため,先生の部屋に入りますが,学術誌の閲読あるいは執筆のいずれかであり,エスプレッソを傍らに,タバコの煙の中で仕事をされている姿を見ると,学者という言葉が似合うと強く感じていました。学生の入室に気付くと,いつもニッコリと振り向かれます。
修士課程を修了すると,私は企業に就職して琵琶湖の近くに居ました。その頃,先生は教授に昇任されており,京都に出張の折,ワインを片手に訪ねて来られたこともありました。広島とは距離が離れているので,年賀状で近況報告をするくらいでしたが,動燃事業団への派遣期間中,先生から電話があり,「京大に行くので,助手として手伝って欲しい」とのことでした。突然の電話に加えて,事の重大さに驚いたことを覚えています。後日,先生のご自宅を訪れると,温かく迎えていただき,「企業では基礎研究から離れていたかもしれないけれど,論文博士を目指して頑張って欲しい」と励まされました。
思い返すと,研究だけでなく,多くのことを教えていただきました。増田先生の広島大学修士課程の恩師は頼実正弘先生(広島大学元学長)であり,京都大学博士課程の恩師は井伊谷鋼一先生(粉体工学と産業の国際的枠組みを確立した第一人者)です。お二人の著名な先生の下,研究の機会を得てこられたことに特別な何かを感じますし,修士課程のとき自主的に複数の投稿論文を執筆されていたことに凄さを感じます。
また,先生は哲学に相通じる数学が特に好きで,同郷の竹原出身で京都大学教授の池田峰夫先生の教育を個人的に受けておられ,その場で黒板に解答していく経験を積まれたそうです。ドイツ留学では,フラウンホーファー研究所のStöber 先生を尊敬されていました。新たな研究の門を開いては,人とのつながりを大事にされる姿勢に素晴らしさを感じます。
専門書に限らず,異なる分野の多くの書物を読まれていたことは容易に想像できます。1万年以上前に描かれた壁画の顔料,数千年前に発見された琥珀の静電気,硯と墨と粒子,アインシュタインの速度論など,言葉の端々に造詣の深さを感じます。
夏目漱石の弟子で,物理学者であり随筆家でもある寺田寅彦の「自然界の縞模様」もよく話題に出ました。「微粉体の再飛散現象」に関する研究は,「粒子の沈着と再飛散同時現象」に進展しており,筋状沈着層の形成パターンの考察に寅彦との共通点がありました。
先生は,ご自身の著作物のほとんど全ての別刷りを私に手渡しておられました。幅広く勉強するようにということだったと思います。文章の完成度はいつも高く,主題や内容の重要性に加えて,起承転結を考慮し,適切な図を描き,与えられた紙面を有効に利用するという教えは十分に伝わりました。そういえば,粉体工学会誌に「四分法」というコラムがあり,若い頃にはたくさん執筆されたそうです。
先生は,哲学の話も好きでした。「“人のためになることをせよ”という西洋の教えを知っているか?東洋では言い方が違うね。2回ひっくり返すと,“人の嫌がることをするな”になる。東洋の方が先だろうね。西洋の教えは,人との関わり方が積極的で,それがよいとも言えるが,そんな単純な話でもないね。」
京大広報には,増田先生の「退職雑感」が掲載されており,次のように締めくくられています。「若い学生たちと研究やいろいろの話ができるのは教員の特典です。後悔のないよう,できる限りの力を出してやっていただきますよう先生方には再度お願いいたします。ただし,学生諸君の能力を損なうようなお節介は不用です。」
時間の使い方と使わせ方の質と量は,特に重視されていました。考え抜いて出された研究や哲学の結論は力強く発言されますが,個人的なことで周囲に余計な時間を使わせたくないという気配りをいつも持たれていました。先生の訃報が京大のWEBに掲載されたのは11月15日で,逝去されてから5日後でした。増田先生の遺志と伺っています。
タバコが好きで,いつも沈思黙考し,休日には魚釣りを趣味として自然の中に身を置き,大物の太刀魚が掛かると思わず笑みを浮かべる姿に惹かれます。増田先生の教育者,研究者としての類い稀な才能と温かい人柄を偲びたいと思います。
7 理想と仮想
(粉体技術 巻頭言 2022)
粉体や粒子と関わっている人は実に多い。その関わり方は人それぞれだ。大学で講義を聴いた。粉体を取り扱っている会社に入社した。粉体機器を開発した。その機器を製作して販売した。キャリアを積むと,粉体や粒子へのイメージは変わるのだろうか。
ただ何となく「粒子が好き」ということでも,よいのかもしれない。砂丘の風紋や浅瀬の砂れんが好き。砂浜を素足で歩くのが好き。砂時計の動きや砂絵アートの制作を見るのが好き。いろんな場面が思い浮かぶ。粒子が特別な存在と言えるのは,個々の大きさや形に違いがありながらも,それらが集まって振る舞う姿に意味を感じるからかもしれない。粒子の移動速度や移動後の落ち着き先に理由があると,規則的な動きや模様が現れる。きっと,人はそこに興味を覚えたり,美しさを感じたりするのだろう。
かつて“SAND”という背表紙に目がとまり,手にしたことがある。ハーバード大学Siever 教授の著書であり,多くの写真やイラストを使って,地質学の視点で分かりやすく記してあった。私たちが対象とする粒子の扱いとは切り口も規模も違う。そこには,大自然が時間をかけて創り出した砂の履歴があった。
さて,砂よりずっと小さい粒子ではどうだろう。その集合体は,いわゆる微粉体と呼ばれており,今や多くの産業で欠かせない原材料だが,美しいと称されるのを聞いたことがない。微粉体を入れた容器を傾けても,さらさらと流れることはなく,動きにリズムもない。勝手な見方かもしれないが,何かがたくさん集まった状態では,形や動きの変化に人は興味を抱くようだ。一定の周期ではなく,幾つかの周期が組み合わさり,1/f に代表されるような揺らぎが加われば,さらに興味が増す。あるタイミングで気になる現象を目にすると,もう一度それを見たくて,次のタイミングが訪れるまで,そこから離れられなくなる。
話を微粉体に戻すと,そこには連続して滑らかに移行する要因がないことに気付く。粒子が小さくなればなるほど,動きを制御することは難しい。それを解決するために知恵を絞って試行し,得られた結果をもとに仮説を立て,それを検証して定式化すると,仮想の条件でも粒子の挙動に関して予測できるようになる。相似則を導入して無次元数で定式化すれば,さらに適用範囲は広がりそうだが,このような手法が常に正しいとは限らない。
いわゆるミクロンの壁,サブミクロンの壁,ナノの壁がある。粒子が小さくなると,重力から付着力に支配因子が変わる。慣性から拡散へと挙動も変わる。粒子径の平均値が大きく異なる粉体を扱っていると,全く違う現象を目にするので,すべてを包括する相似則は存在しないことに気付く。条件に応じた支配因子の特定が何よりも重要だ。範囲を適切に指定すれば相似則も十分に活用できる。
粒子径に関わる問題に限らず,解明していかなければならない課題は山積みだが,ある程度まで諸現象が解明されると,粉体ハンドリングの改善に知恵を絞りたくなる。新たに提案された技術が単純な機構で,少ない行程であればあるほど優れたものとみなされ,後にブレークスルーと呼ばれるようになる。既存の技術を集めて組み合わせただけでは,一定の成果が得られたとしても逐次的であり,時間とエネルギーを要するので,もっと優れた技術を探したくなる。
理想に近づけるための工夫を怠ってはいけない。根気強く現象を観察して試行を繰り返していけば,セレンディピティに遭遇することもある。決して偶然を頼りに進めてよいと言っているのではない。注意深く観察を繰り返すことが,新しい技術の創出につながることを理解すべきだ。ひらめきによるブレークスルーのチャンスも,知らない間に増えているだろう。
究極の理想と現実との隔たりの中で,適切な目標を定めて仮想の世界を埋めていくことは,いつの時代にも必要である。仮想の質を高めるには,時代の動きと現状を見極めることが早道だ。研究・開発だけの話ではない。好奇心を抱きながら近くも遠くも見続けていると,いちはやく本質にたどり着く。
6 インパクト 2022
(粉砕 巻頭言 2022)
世の中には,いろんなことを考える人がいる。ひとつのアイデアが生まれると,それを実現しようとする人も現れ,その動きが大きくなれば,社会現象に発展する。初期の段階では,多くの分野に共通する基本的なところに意識が集中するが,応用すべき対象が見つかると新たなアイデアが加わり,個々の独自性が重視されて分散し始める。
進め方は一通りではない。その時々の社会的背景と技術レベルに依存する。思い返すと,急速と思われた変化の中にも,かつては,どこか気持ちの上でゆとりがあった気がする。最近,そういう感じを持つことが少なくなってきたのは,時間の感覚が違ってきたせいであろう。
コンピューターは,時間の短縮に大いに貢献した。処理速度の高速化は,とどまるところを知らない。情報の波も絶え間なく押し寄せてくる。通信速度の加速とネットワークの広がりは,目を見張るばかりだ。どこかで生まれたひとつのトピックが重要と判断されれば,連鎖的送受信で瞬時に世界に拡散する。
シーズが大学あるいは公的研究機関の研究から生まれると,一般には,論文として公開されることになる。キーワード検索を行えば,即座に関連する論文が列挙される。注目すべきシーズは誰かが発展させて,次の成果につなげていく。このプロセスが際限なく繰り返されて現在があり,さらに未来へと続く。
物の価値は,多くの人に役立つか否かで決まる。形になって広がれば,それはもちろんのこと,形になっていなくても,その概念が重要であれば,次のステップに進むので役に立っている。研究論文の価値も同じであり,次の研究・開発に役立つか否かに依存する。その道の専門家は,価値の有無を即座に見抜くかもしれないが,門外漢には判断が難しい。したがって,異分野の情報を共有する場合,客観的な評価を求めがちである。
今や,情報化社会は定着しており,研究論文の引用数は時間単位で更新される。引用数の多い論文は,多くの人に役立っていると言えるかもしれないが,そんなに単純な話でもなかろうと反論が聞こえてきそうだ。いずれにしても,数値で順位が決まるのであれば分かりやすい。本質はともあれ,忙しい世の中,分かりやすさが優先されるのは致し方ない。もう少し掘り下げてみよう。専門家と言われる人は結構多い。しかし,分野が多様化しているので,ひとつの分野に限定すると専門家がそれほど多いわけでもない。
引用数の多い論文は,どこの学術雑誌(ジャーナル)に掲載されているのだろう。よい論文が集まれば,そのジャーナルの評価が高くなる。ジャーナルが名声を得れば,そこに掲載されることを望む人が多くなり,質の高い論文を投稿しなければ掲載許可が得られないので,ジャーナルの質はさらに高くなる。いわゆる正のスパイラルが完成する。著者にも出版社にも利があれば,こういう状況が生まれる。どちらか一方の戦略で,この状態を生み出そうとしても難しい。ある方向に世の中が動き出す場合,人の心理が関係しており,それを結果が後押しするので,なおさらである。
ブームに乗るのもブームを作るのも自由だ。新しいブームを作るには,どこかにカンフル剤を投入すればよい。スパイラルなのだから,どこに投入してもよいのだが,カンフル剤にも有効期限がある。期限内に効果が出なければブームは作れない。効き目の弱いカンフル剤でも,複数の種類を一度に投入すれば,数で乗り切れるかもしれないが,こうした戦略的な動きが全てでもなかろう。すなわち,独自の方向性を生み出すということもあり得る。いわゆるオンリーワンに準ずる取り組みを行うと,根強いファンが支持してくれる。今だからこそ,こうした考えを大事にすることも必要であろう。しかし,いつかはメジャーになるタイミングを探している方が自然であり,理解しやすい。
既に,Impact Factor (IF) の評価を重んじる風潮が定着して久しい。各ジャーナルで,1年前と2年前に出版された論文に対して,今年,世界で引用された数で評価する。論文を量産できる分野もあれば,そうでない分野もある。成果が出るまでに要する時間に依存するのだ。特定の分野に関係する研究者が多ければ,数の論理で引用数は増える。分野間の差を修正した指標が Source Normalized Impact per Paper (SNIP) であり,ジャーナルの名声度で重み付けした引用数で評価するのが Scimago Journal Rank (SJR) である。これらは数値を正当化するための工夫の現れである。
学術出版業界の最大手が Elsevier であり,独自の評価指標として CiteScore を使用している。ルールを突然変える傾向があり,最近のルールは,今年も含めた直近の4年間に出版された論文をそれと同じ4年間の引用数で評価する方法である。IF と年数だけが違うように見えるかもしれないが,そうではない。今年出版された論文を今年の評価に入れるので,出版後の期間が極めて短い。ここに戦略が見えてくる。出版後の期間が短ければ,その引用数はあまり増えないが,正規の出版時期よりも数ヶ月前から公開し続けると,実質上,公開期間が長くなるので引用数は増える。世界のランキングは,このような操作で大きく影響するので,公開を前倒しにする傾向がある。冊子が郵送されるのは後からでもよい。要するに,WEB による公開情報とそれをダウンロードできるデジタル環境が整っていればよい。これは既に社会現象になっている。
研究論文とジャーナルを例に挙げたが,多くのことに共通する話である。研究・開発の進め方であれ,産業への応用であれ,情報化社会を活用するための工夫が鍵を握る。後手に回れば,その影響が数年後に現れる。そういうサイクルなのだ。
5 研究のきっかけ・それから
(静電気学会誌 巻頭言 2021)
静電気の研究に携わったのは,約40年前の学生のときである.移動現象工学専攻修士課程に進学し,粉体に興味を覚えて研究室を選んだ.修士論文のテーマは「微粉体の再飛散現象」である.当初,静電気に関係するとは想像していなかったが,粉体の飛散現象の定量化のために,粒子の剥離帯電および飛散粒子と輸送管との接触帯電を利用するように指導を受けたことが,静電気の研究に携わるきっかけになった.金属製の容器を加工して電磁シールドを製作し,手製の静電気検出管に同軸ケーブルを接続して,エレクトロメーターの出力信号をペンレコーダーの赤インクで描き出したときには,研究の楽しさに触れた気がした.
修士課程を修了すると,エンジニアリング会社に就職したので,設計と開発が主な業務となり,基礎研究から遠のいたが,6年後に転機が訪れた.京大の増田先生に助手として採用していただき,論文博士を目指して研究を再開することになった.学生のときに経験した接触帯電による粉体計測技術を用いたが,測定法および解析法にはかなり工夫を凝らしたように思う.
博士の学位を取得後,管内固気二相流の計測を行うことになり,粒子の接触帯電の研究を本格的に始めた.絶縁体を介して2種類の金属検出管を直列に配置し,電荷保存則と接触帯電による発生電流を利用して,粒子流量と粒子帯電量の同時計測に向けた基礎データを蓄積していった.粒子の材質を金属酸化物から高分子に変更するとともに,検出管を金属から導電性高分子に変更するなど,実験パラメータは増えていった.予想に反した結果が出るたびに,仮説を立て直して装置を改良し,成果がまとまってくれば論文にしていくという日々が続いた.この頃,導電性高分子に頼ることなく,高分子薄膜の絶縁破壊を利用して電流を検出する方法も見いだした.E-SPARTによる帯電量分布の測定と解析を進めて,研究の幅も広がってきた.
講師に昇任する頃には,これまでの経験を学生の研究指導にも活かせるようになった.ブレークスルーに直結した奇抜な研究をしたいと思うことはあるが,その一方で,自然現象は一見複雑に見えても単純な現象の重ね合わせであり,工学はシンプルな方がよいということを念頭に置いていた.研究を行うにあたって,着想の豊かさは非常に大事な要素であり,そのヒントは地道な研究活動の中に隠れていると固く信じている.現象をよく観察し,データを吟味して,深く考えることが重要であり,基本に忠実に,粉体と静電気に向き合うよう心がけてきた.すなわち,電荷移動の駆動源である接触電位差に加えて,影像電荷と空間電荷を考慮し,接触面積と接触頻度を適切に考慮すれば,不可解と言われてきた粉体プロセスの帯電現象も論理的に説明できると考えて研究を進めてきた.電荷の発生と移動経路を把握し,サンプリングの位置と計測法を適切に選べば,正しい電荷収支が得られ,ここから本題の研究が始まる.
粒子の接触帯電は,自然現象として身近なものではあるが,帯電量の制御には苦労する.助教授から准教授にかけて,粒子の表面電荷の制御に力を入れた.折しも,電子写真と粉体塗装の研究開発が活発であり,周囲からの後押しもあって,粒子帯電制御研究会を発足させることになった.著名な先生方や多くの研究者・技術者に支えられながら活動できたことは喜びであり,社会貢献の一助になったなら幸いである.
教授に昇任してからは,役に立つ技術の開発に,今まで以上に重きを置くようになった.かつての企業経験がそういう気持ちにさせたのだろう.接触帯電の制御に外部電場は必須と考えていたが,新技術を開拓するには,さらなる工夫が必要である.気流,振動,遠心場の併用にとどまらず,バイアス電圧を印加した大気圧低温プラズマや紫外線照射による光電効果,非導電性粒子への誘導帯電の活用など,多くの共同研究者のアイデアを盛り込んで,帯電粒子の浮揚・分散・混合技術の開発に展開していった.
今後の課題は,ミクロンサイズの粒子によって得られた成果をサブミクロン粒子およびナノ粒子に適用するための工夫である.研究は,いつも偶然と必然が入り交じって一筋縄ではいかないが,データを基に理論を構築しながら新技術を開発する過程に,面白みや醍醐味があると思う.
4 薫 風
(京大生向け化工通信 巻頭言 2018)
視点を少し変えてみよう。気がつけば、今日に至るまでに長い道のりを歩んでいる。何も気にしていなくても1日は過ぎていくが、多くの知識と経験を積み重ねている。いつも真剣に考えているとは限らないが、それなりに適切な判断をしてきたのだろう。時間を持て余していると感じるときもあれば、時間に追われて焦っているときもある。どれだけのことを考えて行動しているのか、同じ時間を過ごしても、感じ方は人それぞれなので個性が生まれ、そこから自分らしさが見えてくる。しかし、自分らしさというのもよくわからないものだ。漠然とした話に聞こえる。もう少し時間をかけて考えたい気もするが、自分に合った生き方を見つけて進めと、もうひとりの自分の声がする。
いつの間にか、「化学プロセス工学」という言葉も身近に感じるようになってきた。「化学工学」という言葉の響きも悪くない。サイエンスとして化学があり、実用上の観点に重きを置いたものとして工学があり、両方を兼ね備えた位置づけにあると考えれば合点がいく。英語名をそのまま片仮名にすると「ケミカルエンジニアリング」である。この響きも悪くない。そういえば、世の中では装飾的ネーミングが多用される傾向にあるが、あまり耳には残らない。
工学はシンプルであるほど美しい。プラントの中に見えるタワーやパイプラインは一見すると複雑であるが、見慣れてくると実に合理的かつ体系的であることに気づく。ポップアートとエンジニアリングの相性がよいのも通じるところがある。感性は大事である。感性を使わなければ、右脳も左脳も適切に連動してくれない。バーチャルにもそろそろ飽きてきた。本物に近いところに身を置きたい。改めて、化学とは何かと問うことはさておき、役に立つことをしなければ、独りよがりになりがちである。人のために何かをしたいというイメージは、はっきりとは見えてこないが、そういうことでもなければ物足りないという人の気持ちもわかる。本物を追求しながら多くの人と関わっていくことを考えると工学の重要性が見えてくる。
人に言われて行動したくない。しかし、そういう考え方こそ、多くの人と同じではないか。むしろ、そのまま受け入れてみたら、今まで見えなかったものが見えてくることはよくある。自然体のときこそ本物に出くわす機会は多い。こういう経験を繰り返していくと、元来、自然体という感覚が備わっていたような気がしてくる。
ひとつのできごとと要した時間とを掛け合わせると、1年もすれば結構な量になる。そこから得られるものにもかなりの重みが加わっていることに気づく。さて、あることで成功した人がいる。別に名声を求めた訳でもないのだろうが、ごく普通のことを、ごく普通に行っていると思っている人に限って、大きな成果が得られることが多い。奇をてらっても偽物は本物にはなりえない。当たり前のことを当たり前のごとく行い続けることは、思ったほど簡単ではない。
若い人には若い人の考え方がある。どういう生き方をするのも自由に思える。これが絶対に正しいということがある訳ではないが、振り返ってみたとき、常に今がよりよい状態にあると自他ともに思える場合、ひとつの証明になっているのだろう。普通に行っているということがすべて平凡であるということではない。平凡に見えることに対して、どれだけ視点を変えられるのかを考えてみることに豊かさが感じられる。風を掴むもよし、風を起こすもよし。そこには無限の可能性が秘められている。
3 思考の柔軟性
(京大生向け化工通信 巻頭言 2013 改)
化工通信は,京大化学工学専攻の学生によって刊行され,毎年,学内の化学系の学生に配布されている。今年も,巻頭言の執筆依頼が専攻長に届いた。今回は,ものの見方,考え方について記してみたい。
とかく今の時代は,分かりにくいと言われる。しかし,これは今に始まったことではない。いつの時代も分かりにくい。時代によって環境や文化に違いはあるが,結局のところ,人が考えることに大差はなく,同じようなところをぐるぐる回っている。それが人の歴史である。
本を読んでもネットを見ても,いろんな人がいろんなことを言い,溢れんばかりの情報がメディアを通して流れ込んでくる。大きな違いがなくても,ことさらその違いを大きく取り上げている場合もあるし,相反する立場から,それぞれの正論を主張していることもある。情報の発信量とその方法の自由度が増えれば,考え方が多様化しているように見えるが,味付けを少し変えただけのことも多い。情報をいかに捉えて,そこから新たな結論を導き出し,実践していくかということが真に重要である。
実は,ひとつの事象を,どのスケールで捉えるかによって判断が変る。事象を捉える大きさは,人によって違う。質の高い経験を積み重ねていくと視野が広がる。かつては,個人的なことばかり考えていた人が,いつの間にか周囲のことも考えるようになり,グループのこと,コミュニティのこと,さらには日本のため,世界のため,人類のためにと大きく広がっていく。視点が変れば,答えが違ってくるのも当然だ。持っている引き出しの数とサイズが大きくなれば,考え方も一層深くなる。そうは言っても,いつも最大スケールで判断するのは賢くない。重要度に応じて,焦点を当てる部分を適切に判断することが肝要である。その場の空気が読める,読めないというのも,この辺のところに関係する。
判断のために参考となる意見を聞くにしても,自分で考えを出すにしても,どのスケールで考えたかということを常に意識しておくのがよい。正しいものは正しいという絶対的なことを言う場合もあるが,実際,そのような状況は限られており,幾つかの要因が絡み合っていれば,重要性の適切な順位付けが必要である。
考え方はいろいろであるが,いろんな意味において,何を目指すのがよいのかと聞かれれば,突き詰めると,『人生を楽しむために』ということになりそうだ。何が楽しいのかと聞かれれば,スケールによって異なる。人生の進路を決めるにあたって,5年後,10年後の先を読むのもひとつの方法である。見えないものは読めないが,読む努力は必要である。学問においても同様だ。見えないものをどれだけ予測できるかということが鍵であり,その正解率を高めることが重要である。課題のレベルを下げれば,正解率は高くなるが,努力や進歩の度合いは下がる。逆に,レベルを高くしすぎるとリスクが増えるし,結果も出にくい。要は均衡である。可能な範囲で,両方,大事にすればよい。
奇想天外なことを言って笑われても,継続は大事である。ただし,答えの出ない状態で,ただただ継続するのは盲進であり,軌道修正が必要だ。少しでも結果を残し,その質を向上させれば,それはそれで好意的な評価を受けるものである。また,応援してくれる人に出会う可能性も高くなる。これはひとつの真理であり,万人に当てはまる。
一度限りの人生は,無限に開かれているものであり,そう考える人を大事にする自然な仕組みが世の中にはある。人を伸ばす機会は身近にあるが,気付かないこともあるし,気付くのを敢えて拒否していることもある。言い分はいろいろあるが,同じ機会が何度も繰り返して訪れるかどうかは分からない。時間は戻せないという当たり前のことが厳しいところだ。しかし,考えようによっては,人生を面白くさせている。
大学は,社会全体から見ると特殊なところだと思う。いい意味で言っている。いろんなことを実践できる可能性が高く,大小異なるスケールを踏まえたうえで,今の位置を測るものさしを身につけておけば,ひとりひとりに無限の可能性が訪れる。明日からと言えば,今日の機会は消えている。それが積み重なるとその差はかなり大きい。世の中,不公平なように見えても,意外に公平に出来ている。機会均等のことではない。支援と被支援の均衡を意味している。
2 大学の特許と産官学連携
(京大広報 2009)
発明とは,従来みられなかった新規な物や方法を考え出すことであり,その中には特許権を取得できるものがある。特許法では,自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものを発明と定義している。技術レベルの高さは要件の一つではあるが,重要なのは新規性と進歩性である。新規性のある発明であっても容易に思いつくようでは,進歩性は認められない。
特許制度の目的あるいは意義としていろいろな考え方がある。第一に挙げられるのは,発明の保護および利用を図ることにより,発明を奨励し,産業の発達に寄与することである。企業から出願される特許は,経営を考えると,発明の保護に重きが置かれるのは当然である。研究方針および研究の遂行も組織的に行われるので,特許にも戦略性が加わる。
大学からも毎年多くの特許が出願されるが,企業とは組織の性格が異なるので,それによる違いが特許にも現れる。各研究科,各専攻には個別に掲げる方針があり,大小様々な研究プロジェクトも存在するので,研究の方向性は決まるが,個々の目標の設定は,研究者に依存するところが大きく,所属する学会や関係する学問領域の動向も考慮される。したがって,総合大学から出願される特許は,分野・領域が広く,特許の考え方や位置づけも様々である。ひとつの研究グループから出願された特許が,同大学の別の研究グループから出願される特許と関連があったとしても,それぞれ独立した研究から生まれたものであれば,企業の特許に見られるような組織的な戦略性は生じてこない。また,現象や問題の解明に焦点を絞った研究から派生的に生まれる発明は,特許権が得られたとしても,実用性に欠けるものや周辺技術との適合性に課題を残すものがある。
近年,日本の大学は,知的財産を適切に維持するための組織をもち,大学が出願人となって権利化を行い,技術移転活動を展開している。また,ひとりひとりの研究者もこれまで以上に,特許に高い関心を寄せるようになった。その背景として,大学と企業との共同研究の増加が挙げられる。企業は,新製品の開発にしのぎを削っており,製品と結びつく研究・開発には集中して投資する。製品化に求められる要件として,高性能・高機能化が挙げられるが,それだけでは不十分であり,簡易性,汎用性,効率性という実用面を視野に入れる必要がある。時代のニーズに適応した発明が大学から生まれたとしても,製品化にはさらなる開発が必要であり,特許が取得されていなければ,企業はそれに伴うリスクを考えて,開発への投資に歯止めがかかる。完成された技術を買うのではなく,技術を育てるためにも現実的な側面から特許の重要性が見えてくる。
研究の目的は,最終的には社会への還元であり,研究が研究を生み出す過程は重要であるが,材料あるいは装置という形にすることによって研究が一段落する。研究の成果が製品化されると,それを利用する機会が格段に増えるので,新たな研究や応用のための開発が加速する。国内だけでなく世界中で同時に研究・開発が可能になり,発明者が予想していた領域を超えて,多方面に発展していく例は多い。
知的創造サイクルとは,研究・開発にかかった費用を特許権のライセンス収入で回収し,新しい研究・開発に投資することである。このサイクルが発明者を中心とした時間発展型サイクルであるのに対し,製品化は世界規模での広がりと研究ネットワークの構築に効果がある。知的財産と産官学連携は密接に関係しており,研究成果の普及と活用のために具体的な形にしていくことが,これまで以上に求められる時代になったと言えよう。
1 工学はシンプルにて美しい
(粉体工学会誌NEWS2003)
2002年度 IP 奨励賞の受賞をとてもうれしく思っています。粉の研究は,今から20年以上前,これからは粉の時代という思いを抱いて増田研究室に入ったことが始まりです。当時の研究テーマは「微粉体の再飛散現象」であり,修士課程を修了してからエンジニアリング会社に就職しましたが,その6年後に再び大学で研究を始めることになりました。エンジニアリング会社で得たものは,粉のハンドリングがプロジェクトの鍵を握るということです。今なお,粉の挙動に強い関心を持つのは,その取扱いの大変さを実感したからかもしれません。粒子の付着力と静電気の研究を主軸にしているのも,それらが粉体のハンドリングの要だと考えるからです。
工学という位置づけで研究を行うとき,基礎であれば現象の本質を捉えて,その知見を多くの人に役立つ形で提供し,応用であれば従来にない新たな着眼点によって,手法,システム,製品を生み出すこと,あるいはそれらの基盤をつくることが重要だと考えています。いずれにしても,現象の解明が十分でなければ本質には迫れないし,新しいものを生み出すことも容易ではありません。ひとつの現象でも見方を変えると,いろいろな側面が出てきます。枝葉にとらわれずに物事を見極めれば,矛盾のない解釈ができるようになります。目に見えるものは必ず定式化が可能だし,目に見えないものでも現実的なモデルが立てられるはずです。原理,原則は極めて単純であり,物理的あるいは化学的な解釈を基礎として生まれた式には必然性ゆえの美しさがあります。現実の粉の世界はそれほど美しいものではないかもしれませんが,基本は常にシンプルであるべきです。それに肉付けをしながら徐々に複雑な系に持ち込んで発展させていき,ここから再び使いやすい形にする工夫が必要です。
現在,粉体工学もいろいろな可能性をもって多方面に進出しており,それぞれのトピックが展開されています。トピックを探求しながらも,基礎・基盤に空洞化が生じないように,広い視野に立って研究を進めることが今後ますます必要だと思います。大学の教官,研究者,学会のメンバーという立場にありますが,視点を変えるとウエイトの置き方が少しずつ違ってきます。しかし,本質を大切にするということに変わりはなく,そういう観点で各方面に力を出していくことができればと考える次第です。